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本牧ブルース
3、GSVSG2

第一章

横浜の夜

Scene4)「横浜の夜」1946年10月26日(土)


その週末、ヘンリーと雪枝は本牧のポートホールのバー・カウンターに座っていた。雪枝はジントニックのグラスを傾けながら店の壁に掛かっている時計を眺めた。五時四十分、夜はまだこれからだ。客は自分たち二人、そしてテーブル席に海軍の下士官と白人女性のカップルだけ。バーの中にはオーナーのディックとチーフの森田がいた。チーフの森田は年の頃は20代後半。元日本陸軍の帰還兵で、軍では厨房担当だったおかげで餓死しないで済んだといっていた。終戦時は沖縄にいたと聞いている。普段は寡黙な森田だったが今夜は違った。先日この店で起こった銃撃事件について雪枝に熱く語り始めたのだ。
「でね、その黒んぼの兵隊が…まあ、当てるつもりなんか最初からなかったらしいんですけどね、カウンターの白人に向かって一発ぶっ放したんですよ。ここに弾の後があるでしょう?」確かにバーの後ろの棚の一部が欠けて中の白木が見えている。
「でね、そん時、ディックさんも見習いの充も床に這いつくばってたんですよ。でもね、俺は焼きあがったピザをそいつのところに持って行ってカウンターに置いたんですよ。『へい!お待ち!』ってね。だって冷めたら美味しくないしね、だいたいアメちゃんの弾なんか怖がってたら、生きて帰って来れなかったからね」
そこまで一気にしゃべると、森田はヘンリーの奢りのウィスキーをぐっと煽った。雪枝は森田の話を掻い摘んで英語に訳しヘンリーに聞かせた。
「ははは!チーフのピザには大和魂がこもっているようだね。で、ディック、銃撃はしょっちゅうあるのか?」
ヘンリーが尋ねるとディックは首をすくめて答えた。
「いや、銃撃はこの店では初めてだな。喧嘩は時々あるが。でも他じゃ珍しくないって聞いているよ。幸い怪我人もなくてMPに調書を取られただけで済んだよ」
「うむ。やはり人種問題か?」
「わからないな。海兵隊の連中はとにかく気が荒いからな」
ディックは首を振りながら答えた。
「カラーン!」
入り口のカウベルが鳴り男が二人入って来た。
白人の士官とスーツを着た小柄な東洋人の男だ。
「ここ、よろしいですか?」
東洋系の男は雪枝の隣のスツールを指差し英語で尋ねた。
「どうぞ」
雪枝が答えると二人はスツールに座りビールとピザを注文した。
東洋系の男は流ちょうな英語で士官と話している。どうやら日本人ではないらしい。
雪枝が二杯目のジントニックを注文すると、その東洋系の男は雪枝に話しかけてきた。
「失礼ですが日本の方ですか?」
「はい、そうですけど…」
「いや、あなたの英語があまりに流暢なので二世かと」
「いえ、ずっと向こうで育ちましたので」
「とおっしゃると、アメリカの?」
「はい、LAとニューヨークにおりました。あなたは?」
「ああ、申し遅れました。ジミー・コサカです。ハワイ生まれの二世です」
「アメリカの方ですか。でも軍人ではないですよね?」
雪枝はあまり自分のことを話したくなかったので、自分から質問を浴びせた。
「はい、民間人です。主に通訳として働いています」
「じゃあ、日本語もおできになるのね?」
「モチロンデ?ス。ハハハ!カンパ?イ!」
ジミー・コサカと名乗る男はビールのグラスを持ち上げると雪枝とヘンリーに乾杯を求めてきた。ヘンリーはあまり気乗りがしないのか渋々グラスを掲げた。
「失礼ですが、そちらにいらっしゃるのはデュボア少佐では?」
ヘンリーはギョッとして思わずジミー・コサカを睨んだ。
「いえね、GHQのオフィスで何度かお見かけしたので。少佐は民生局所長のケーディス大佐の片腕と言われていますから有名人ですよね。ハハハ…」
ヘンリーは不愉快そうに応じた。
「ミスター・コサカ、ケーディス大佐は民生局所長ではなく所長代理だよ。所長はホイットニー准将だ」
「ああ?これは失礼。ケーディス大佐があんまり目立つもので勘違いしてしまいましたよ」
ヘンリーは雪枝の脇腹をつついて目くばせした。「出よう」という合図だ。
雪枝はまだ半分以上残っているジントニックを一気に飲み干すと立ち上がった。
「じゃあ、ディック、今夜はこれで失礼するよ。チーフによろしくな」
「ああ、ヘンリー、ユキ、素晴らしい夜を!」
森田が厨房の小さな窓から二人に軽く会釈した。店が混み始めて厨房内はてんてこ舞いのようだ。

ポートホールの外に出た二人は路上に止めてあったヘンリーのワインレッドのフォードに乗り込もうとした。その時ドアに手をかけた雪枝がいった。
「ねぇヘンリー、ちょっと歩かない?」
「いいよ」
二人はポートホールの裏側に出て、波止場の方にぶらぶらと歩き始めた。
「あのジミーっていう奴、怪しいわね?」
「え?どうしてそう思う?」
「だって、ハワイ生まれのくせに訛りがないし、それに時々奇妙なイギリス訛りが混ざるのよ」
「それは僕も気づいていた。あいつは多分日本人だよ。香港かどこかで英語をおぼえたんだろうけど…店に来たのも偶然じゃないかも知れない」
「え?どういうこと?」
雪枝は怪訝な顔でヘンリーの顔を覗き込んだ。
「Yuki、どうやら我々を監視している者がいるらしいんだ。この前、ケーディス大佐にも注意されたんだが、どうもG2の奴らがスパイ活動を始めたらしい」
「え?何を言っているの?スパイって…味方同士でしょ?まさか、あなたがコミュニストだとか?」
「Yuki、違うんだ。これはGHQ内部の権力闘争なんだよ。君には理解できないかも知れないが…」
雪枝は黙っていた。日本との戦いが終わっても男たちは別の戦いを始める。何か戦いの理由を見つけようとしているようにしか思えなかった。
「それで、私たちの何をスパイしようとしているわけ?」
雪枝は少し苛立ったように尋ねた。
「スキャンダルだよ。アメリカ軍人と日本の貴族の娘の道ならぬ恋。きっと新聞記者が喜ぶ」
「え!そんなことをしたら米軍全体のイメージダウンになるでしょう。バカバカしい」
雪枝はもうこんな話はしたくなかった。せっかくの土曜日の夜の雰囲気が台無しになってしまう。
「Yuki、気分を害したら謝る。でも、これだけは言っておくよ。もう今までのように二人で大っぴらに出かけるのは難しいと思う」
海からの冷たい風と思いがけない話で雪枝はすっかり酔いが冷めてしまった。
「じゃあ、もうあまり会えないのね。ヘンリー、はっきり言って。別れたいなら、今ここでそう言って」
「Yuki、そんなことは言ってないよ。君を愛している」
デュボア少佐は雪枝を抱きしめた。
雪枝は安堵感と同時にこの恋が脆いものだということを改めて感じていた。そして「もう先のことを考えるのはやめよう。今、この瞬間だけを大切にしよう」と心に刻んだ。そうだ、今夜はニューグランドに部屋がとってある。
「ヘンリー、ホテルに戻りましょう」
「ああ、そうだな。温かい部屋で飲みなおそう」
二人は車の方に歩き始めた。路上では酔っぱらった水兵たちの一団が騒いでいた。そうだ、今日は土曜日の夜だ。



5、森田の告白


XOOPS Cube PROJECT