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本牧ブルース
7、東京ローズ

第一章

GHQ

Scene8)「GHQ」1946年11月11日(月)


午前九時十分前。雪枝は丸の内第一生命ビルの入り口に立っていた。ネイビーブルーのスーツに身を固め、髪も後ろでまとめ化粧もいつもよりかなり地味だった。先週、ヘンリーを通じて彼の上司:ケーディス大佐が面談を希望している旨を伝えられた。特に召喚状が来たわけではない。「一度、話がしたいといっている」と言うのが雪枝に伝えられた言葉だった。しかし、雪枝は内心覚悟していた。これは恐らく「尋問」に近いものになるだろうと。
約束の九時まであと九分だった。雪枝は意を決してビルの中に入った。するとそこは…高い吹き抜けの天井を持つ開放的なロビー。あちらこちらで英語が飛び交い、タイプライターの音や電話の音が入り混じり大理石の壁に反響し…それは別世界だった。
「ああ、アメリカの音、匂い!懐かしい…」
雪枝は思わず目を閉じ深呼吸してつぶやいた。正面の受付には日系人と思しき制服姿の若い男性がにこやかな笑顔で座っていた。雪枝がケーディス大佐の名前を出すと、急に改まった表情で、奥のエレベーターを指さし六階に昇るように告げた。受付の奥は広いオフィスになっており大勢の女性がタイプライターを叩いていた。司令部というよりも、どこかの新聞社のような佇まいだ。
六階に昇ると、打って変わって静かな空間が広がっていた。エレベーターホールにはヘンリーが待っていた。いや、今日はデュボア少佐と呼ぶ方が相応しい服装と態度だった。
「よく眠れましたか?」
デュボア少佐は雪枝を気遣うように尋ねた。
「よく寝たわ」
実はあまり寝られなかったのだが、雪枝は笑顔で応えた。
「ここです」
デュボア少佐がケーディス大佐の執務室のドアをノックすると中から「どうぞ」という声が聞こえた。意外に柔らかな声だ。
「どうぞ、お座りください。ミス上松」
ケーディス大佐が目の前のモスグリーンのクッションの椅子をすすめ、雪枝が座ると同時にデュボア少佐は「では大佐、失礼します!」と敬礼し部屋から出て行った。
部屋には雪枝とケーディス大佐が向かい合って座っていた。ミント・グリーンのカーテン。壁には毛筆で「民主主義」と書かれた掛け軸と竹刀が一本掛けられていた。そして雪枝を何よりも驚かせたのはケーディスの軍人らしからぬ風貌だった。軍服を脱げば、大学教授と言っても通用するようなインテリジェンスに溢れていた。
「私のことはチャーリーと呼んでください。私もYukiと呼ばせていただきます」
「はい…チャーリー大佐」
「大佐は要りませんよ。はははは」
雪枝もつられて笑った。
「コーヒーを頼みました。お好きですか?」
「はい、アメリカでは毎日飲んでおりました」
「そうでしたね。あなたはアメリカ育ち。英語も完璧だ」
「はい…」
秘書の女性がコーヒーを運んできた。
「クリームと砂糖は?」
「いえ、ブラックで…」
「Yuki、煙草を吸ってもかまいませんよ。ラッキーストライクで良ければどうぞ」
大佐が自分の煙草を勧めると雪枝はそれを制し自分のバッグからマールボロを取り出して咥えた。大佐がジッポーのライターでその煙草に火を点けると、雪枝は緊張がほぐれたのか白い煙を天井に向かって吐き出した。
「では、Yuki、まずこれを見てください」
大佐は一枚の写真を取り出した。
雪枝はそれを見ると思わず大きな声をあげた。
「Oh My…あいつら!」
それは二カ月ほど前、日本郵船ビルで行われたパーティーの写真だった。雪枝とヘンリーが楽しそうに踊っている姿。
「Yuki、心配することはありません。これは我々の報道部が撮った写真です。ブラックメールではありませんからね。実に良い写真だ。報道部もこれを軍の新聞に載せようとしたんです。しかし、私が止めた。なぜだかわかりますか?」
雪枝は言葉に詰まった。大佐はコーヒーをすすると話を続けた。
「Yuki、あなたが一般の女性なら全く問題ない写真です。むしろ、米軍と日本人の親睦の象徴としてピッタリの写真だ。しかし、あなたは違う。あなたは貴族の娘だ。しかも天皇家ともつながりが深い。アメリカ人は貴族に対して並々ならぬ好奇心を持っているんですよ。アメリカで育ったあなたならわかるはずだ」
確かに、アメリカにいた頃、雪枝はアメリカ人のクラスメートや教師達から特別な目で見られていた。一般のアメリカ人から見れば千年以上の血筋が遡れること自体が奇跡なのだ。そしてその大本が天皇家に連なっていればなおさらだった。
大佐は立ち上がって煙草に火を点け窓から外を眺めた。そこからは皇居が一望のもとに見渡せた。
「我々の天皇家に対する気持ちは複雑です。アメリカ国民の中には天皇を処刑すべしと叫んでいる者も少なくない。もちろん、マッカーサー元帥以下我々GHQの方針は皇室存続で一致していますから問題ない。しかし、これは感情論ではない。純粋に政治的な意図です。Yuki、あなたは賢いからわかるはずだ」
雪枝はヘンリーから聞いて知っていた。アメリカ政府が天皇家を残した最も大きな理由は「日本の共産化」を防ぐためだと。
「Yuki、我々はあなたのプライバシーを侵害するつもりは全くありません。ただ、もう少し慎重に振る舞うことをお願いしたいのです。ご存知のように、我々の中にも権力闘争があります。あなたをそのような争いに巻き込みたくない。これが私たちの願いです。わかっていただけますか?」
雪枝は黙って頷いた。確かにこのところ少し舞い上がっていたかも知れない。嫌な戦争が終わりヘンリーに出会い、失われていた青春時代を取り戻そうとするかのように遊び回った…その振る舞いに問題がなかったとは言えない。世の中の戦争の傷はまだ癒えていないのだ。
雪枝は大佐に見送られてエレベーターに乗った。雪枝がこの建物に足を踏み入れてから一時間近く経っていた。大佐は最後にこう言った。「時々面談に来て欲しい」と。去り際に「交通費」として渡された白い封筒の中には二十ドル札が一枚入っていた。思いがけない大金だった。
「こんにちは。ミスター・アンドリュー・ジャクソン…」
雪枝はつぶやいた。そしてエレベーターを降りた後もしばらくロビーに佇みアメリカの空気に浸っていた。



9、日曜日


XOOPS Cube PROJECT