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本牧ブルース
9、日曜日

第一章

殺 意

Scene10)「殺意」1946年11月17日(日)


 森田が二人の警官に両腕をつかまれ部屋に連れて来られたのは、それから十分後だった。椅子に座るなり森田は机に頭を擦り付けるようにして詫びた。
「ディックさん、雪枝さん、申し訳ない…」
身体の底から絞り出すような声だった。
「チーフ、ダイジョウブ!ワタシ、ベンゴシウケマス」
ディックが日本語で言ったのを聞き森田は泣き出した。
「ディックさん、すまない。お店にも迷惑かけて」
「チーフ…いえ、森田さん、もう謝らなくていいから…とにかくお話を聞かせてください」
雪枝が優しく言うと、森田は天井を見上げながら時折目を閉じひとつひとつ情景を思い出すように話し始めた。

森田がポートホールに行ったのは朝の十時頃だった。日曜日は定休日だが、ピザの生地の発酵具合を見に行くのは森田の役目だった。ついでにソース類を仕込んだり、色々と翌週の準備をすることも多かった。森田がキッチンで仕込みをしていると表のドアの開く音がした。見ると、男が一人店内に立っていた。暗くて誰だかわからないので「今日は休みですよ」と声をかけた。
「俺だよ、俺、ジミーだよ」
その男はジミー・コサカだった。紺色のキャップを目深にかぶりサングラスをかけている。
「森田、久しぶりだな。忘れちゃいないよな。吉田だよ。上海の」
森田は何と答えたら良いかわからず黙っていた。
ジミー・コサカこと吉田栄吉は森田の沈黙にかまわず話し続けた。
「まさかお前が生きているとは思わなかったよ。てっきりどっか南の島でくたばったと思っていた。まあ、ここでこうしてまた会えたのも何かの縁だ。知っての通り俺は今、進駐軍の仕事をしている。森田、お前にもちょっと手伝ってもらいたくてこうして出かけて来たんだ」
「手伝い?」
「ああ、そうだ。俺は表向きは通訳だが、実は情報収集が役目だ」
「スパイですか?」
「スパイって…お前、人聞きの悪い言い方だな。俺たちの役目は日本を共産主義者から守ることだ。お前も共産主義者がどれほど危険か知っているだろう?」
「いや、わかりません。私はもう国に騙されるのはごめんです。日本だのアメリカだの…」
「まあ、細かい話はどうでもいい。お前に手伝って欲しいのはここに来る客の情報を集めることだ。たとえばこの男とか…」
吉田は一枚の写真を取り出した。それはヘンリー・デュボア少佐だった。
「あっ、ヘンリーさん…」
「ほお!ちゃんと見分けられるじゃないか。そうやって顔と名前を覚えたら、そいつがいつ誰と来たかを書き留めて俺に知らせてくれればいいんだ。簡単だろ?」
「お断りします。吉田さん、私は今はコックです。料理以外のことは考えたくない。もう兵隊じゃありませんし、あなたの命令を聞く義理もない。仕込みがあるんで失礼します。どうぞお帰り下さい」
森田はキッパリと告げるとキッチンに戻った。すると吉田はバーに入り込みキッチンまで追いかけて来た。
「おい、森田、俺に逆らう気か?俺には進駐軍がついているんだぞ。消そうと思えば誰だって簡単に消せるんだ。東京ローズみたいになりたいか?」
「え?東京ローズ?殺したのはあんたか?」
「いや、俺が殺したとは言ってない。おとなしく言う事を聞いた方が身の為だと言ってるんだ。もちろんただ働きさせるつもりはない。お前はここでいくらもらってるんだ?どうせ大したことはないだろう。もっといい暮らしがしたくはないか?」
「吉田さん、私は自分を信じている人を裏切ることはできません。ディックさんに隠れてそんなことをしたくない。私は生まれ変わったんです」
「あんな出来損ないの弁護士なんか怖くないね。大体お前は生まれ変わってなんかいない。昔も今も負け犬だ。お前が上海で何をしていたか知ってるぞ。ずいぶんシナ人の女に入れあげていたみたいじゃないか。あれが初めての女だったんだろ?」
「うっ、なぜそれを」
「お前の好きだったあの女は、俺たちの店で働いていたんだよ。赛琳娜(セリーネ)…上玉だったなぁ。バカなことをしなければ生きて終戦を迎えられたものを…もっともヤクで頭はいかれていたかも知れないが…」
「生きて終戦?彼女は死んだのか?」
「なんだ?何も知らなかったのか?俺がこの手であの世に送ってやったんだよ。あいつの兄貴と従兄弟と一緒にな」
「な、なに?な!なぜ殺した!」
森田は頭に血が上り言葉がもつれた。
「あの女の家族が借金を返すから家に帰してくれと言いだしてな。兄貴と従兄弟が金を持って店までやって来たから、その十倍吹っかけてやったんだよ。確かに最初に貸したのはその金額だったが、あの女は稼ぎ頭だ。商品価値が上がったんだよ。株と一緒さ。それが資本主義っていうもんだろ。だいたいチャンコロのくせに人権だ何だと生意気抜かすから思い知らせてやったんだ」
玉葱を刻んでいた森田の手が止まった。そして、向き直るといきなり包丁で吉田の下腹を突き刺した。
「うわっ!何をする…うう」
吉田は腹を押さえてキッチンの裏口から逃げようとした。森田はその背中にもう一度包丁を突き立て足で尻を蹴飛ばした。よろけた吉田の身体は空瓶の入った木箱にぶつかりコンクリートの地面に仰向けに倒れた。バーボンやジンの空瓶がガシャンガシャンと大きな音を立てて地面に転がり、吉田の白いシャツがみるみる血に染まっていく。
「お前、こ、こんなことをして…ただで済むと…」
森田は何も言わず立って吉田をジッと見ていた。血が地面に流れ出しコンクリートを赤く染めた。吉田はしばらく呻きながら口をパクパクさせていたが、しだいに動かなくなった。
森田は包丁を手にしたままゆっくりとキッチンに戻った。そして血に汚れた包丁と手を丁寧に洗った。恐怖感は全くなかった。むしろ山羊や鶏をさばいた後のような…ひと仕事終えた時のような気分だった。そして心は…軽やかだった。人を殺したというよりも「セリーネの仇を討った」という気持ちの方が強かったのだ。ピストルを手にした吉田を見たあの上海の夜、あれはセリーネ達を殺した直後だったのだ。その事件については「吉田がシナ人の男女三人を殺した」としか聞いていなかった。まさかセリーネ達を殺したとは…。そして、事件の後すぐに満州に転属命令が出たのだ。満州に発つ前日にセリーネに別れを告げようと花を持って会いに行ったが、受付の男に「彼女は故郷に帰った」と断られた…あの時は、もう彼女は殺された後だったのだ。
森田は血の付いたコックコートを脱ぎバッグに仕舞うと、私服に着替え顔を洗い髪を整えた。
その時、いきなり店の表のドアの開く音がした。
「ジミー、いるか?おい!どこだ?」
日本語で呼ぶ声がした。
「まずい…」
森田はすぐに裏口から出ると走って路地を抜け裏通りに出た。そしてそのまま本牧の警察署に向かったのだ。

話を聞き終わるとディックは眉間に手を当てしばらく黙っていた。そしてゆっくりと話し始めた。
「チーフ、一番のポイントは君が殺した人間が『誰か』という事だ」
「え?何を言ってるの?ディック、それは吉田に決まってるでしょ?ジミー・コサカなんて言う人物は本当は存在しないのよ」
雪枝は目を丸くして云った。
「いや、そうじゃない。アメリカ市民としてのジミー・コサカは確かに存在しているんだ。パスポートもある。むしろ存在していないのは吉田の方だ。だから、チーフ、君が殺したのは吉田ではなくジミー・コサカだ。これを自分の胸に刻み込むんだ。そして、上海で起こった事件のことも警察には一切話さないように。吉田栄吉なんていう男はこの世に存在していないんだ」
雪枝がここまでを森田に伝えると、森田は困ったような声を出した。
「じゃあディックさん、あいつ…その…ジミーを殺した理由は?何と言えばいいんですか?」
「正当防衛だ。先に手を出したのはジミー・コサカだと言い張れ。スパイ行為を強要され断ったら口論になり殴りかかって来たと言うんだ」
「それで通りますかね?」
「大丈夫だ。さっきの話をそのまますればいい。スパイになることを強要されたのは事実だし問題ない。ただ、刺した動機の部分だけを正当防衛に変えるんだ。もちろん、上海やセリーネの話をしては絶対ダメだ」
ディックがテーブルを叩いてきっぱり言うと森田は黙って頷いた。

森田との接見が終了したのは二時間後だった。
「チーフ、大丈夫かしらね」
「Yuki、チーフは元軍人だ。幾多の修羅場を生き抜いて来た男だ。精神力は強いはずだ。刑事の取り調べくらいで音をあげるはずはないさ」
もう外は暗くなり始めていた。
「ディック、お店はどうするの?」
「一応後で見に行くが、事件現場だからまだ中に入れないだろう。しばらく休業するしかないな。チーフもいないし」
「残念ね。いいお店だったのに」
「うん…仕方がない。それより、Yuki、今日は本当に助かった。ありがとう。お礼に食事をご馳走させてくれないか?今後の作戦会議も兼ねて」
「え?本当に?私、久しぶりにステーキが食べたいわ。分厚いやつ」
「よし!まかしとけ。俺の車の後について来てくれ」
「アイアイサー!」
雪枝は背筋をピッと伸ばして敬礼した。
「じゃあ駐車場で待っていてくれ。ちょっと電話をして来る」
ディックは署内のロビーにある公衆電話を指差した。



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