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本牧ブルース
10、殺意

第一章

将校クラブ

11)「将校クラブ」1946年11月17日(日)

ディックが電話を済ませ駐車場に戻って来た。
「この辺じゃ一番のステーキを食べさせる店を予約したよ」
雪枝は自分の車でディックのブルーのフォードの後を追った。数分走ると米軍基地のゲートが見えて来た。
「まさか…ベースの中?」
ディックは入口のゲートに車を止め窓を開けて、警備のMPに何かIDのようなものを見せ、雪枝の車を指差して話していた。MPが敬礼して迎える前をディックと雪枝の車は基地の中に滑り込んで行った。基地の中は外の世界とは全く別の…アメリカの郊外のような景色が広がっていた。整然と立ち並ぶ白い壁の家と緑の前庭がヘッドライトの光の中に浮かび上がった。まだ建設中の建物も多いようだ。
ディックの車はひときわ大きな二階建ての建物の前に止まった。雪枝もその後ろに車を止めるとディックが走り寄ってドアを開けた。
「ようこそ、将校クラブへ!」
「え?将校クラブ?」
「そう、僕はここの特別会員だ」
「ええ!そうだったの?」
「さあ行こう!」
ディックが差し伸べた腕に雪枝はつかまり二人揃って建物の中に入って行った。クラブの中は日曜日のせいか私服姿の軍人たちが多かった。家族を連れて来ている者も多く和やかな雰囲気が漂っている。
白い制服姿のマネージャーが恭しく挨拶すると二人を店の奥の個室に案内した。赤と白のチェック柄のテーブルクロスがキャンドルライトに揺れている。席に着くとディックは嬉しそうに二本の指でテーブルをドラムのように叩いた。
「Yuki、ここのステーキは絶品だよ。アメリカでも滅多に食べられないほどうまい」
「楽しみだわ。でも、こんな立派な個室…」
「うん、ここはマッカーサー元帥も時々使っている部屋だ」
「すごい!あなた、余程の大物なのね。見直したわ」
「まあね…いろいろとコネがあって。ところで、ステーキはTボーンでいいかな?焼き加減は?」
「Tボーン、ミディアムレアでお願いするわ」
ディックはブザーを鳴らすとウェイターを呼び、シャンペンをオーダーしようとすると雪枝はそれを制して言った。
「ディック、私、まだお祝いする気持ちになれないわ。チーフのことが気にかかって。赤ワインを一杯だけちょうだい」
「そうか…わかった。では僕も赤ワインをグラスでいただこう」
ステーキはディックが褒めるだけあって確かに美味しかった。こんなに美味しい牛肉を食べたのは何年ぶりだろう。雪枝は暫し無言で食べ続けた。
「あははは、余程お気に召したようだね」
ディックは笑いながら雪枝が食べるのを見ていた。
「だって、ものすごく美味しいんですもの。両親にも食べさせたいわ」
雪枝の両親、特に父は肉が大好きだったが、今はなかなか良い肉が手に入らずきっと不満を感じていることだろう。
食事が終わり食後のコーヒーが来ると、ディックは意を決したように話し始めた。
「ところでYuki、君はこれからどうするつもりだい?」
「これから…って何?仕事のこと?」
「いや、ヘンリーとのこと」
「ヘンリーがどうしたの?」
雪枝はディックの真意がわからず、少し苛立ったような声を出した。
「Yuki、はっきり言おう。ヘンリーはいつかは家族の元に帰る男だ。そうなったら君は…」
「ディック、それは私たち二人の問題よ。あなたが心配してくれるのはうれしいけど、私は大丈夫。ヘンリーに家族がいるのは私も納得しているし、覚悟もできている」
「そうか。でも僕は君が苦しむのを見たくない。Yuki、僕ならもっと君を幸せにできる。愛情だけじゃない…経済的にも不自由はさせない。PXにも顔が利く。肉でもチョコレートでも何でも欲しいものを言ってくれ。君の両親も喜ばせることができるよ」
「え!ディック…それって」
「僕の本心だ。君には幸せになる権利がある。惨めな人生を過ごすべきじゃない」
雪枝は急なプロポーズにどう応えて良いかわからず、思わず声を荒げた。
「私が惨めに見えるの?妻子のある男性に捨てられる惨めな女に!」
「いや、そんなつもりじゃ…」
「ディック、あなたは確かに魅力的でお金もある。でも、女は誰でも自分に惹かれると思ったら大間違いよ。私にはプライドがあるの。それと食べ物で釣るのはやめて。私たちは犬じゃない!」
雪枝はそう言いながら、アメリカにいる頃見た「Gone with the Wind(風と共に去りぬ)」という映画を思い出していた。そうだ、この男はレッド・バトラーだ。自信家で豊かで…という事は私はスカーレット?確かに落ちぶれた貴族の娘…と言うことはヘンリーはアシュレイ?いや、それはちょっと違うかも知れない。
「Yuki、今すぐ決めなくていい。今日は僕の気持ちを伝えただけだ。後でゆっくり考えてくれればいいんだ」
「もう話はおしまい?今日はご馳走様!私はこれで帰るわ。明日は仕事なのでもう寝ないと」
雪枝は車のキーを握り締めると椅子から立ち上がった。
「Yuki、悪く思わないでくれ。君を愛していることだけはわかって欲しい。いつまでも待つから考えてみてくれ。今日は本当にありがとう」
「おやすみなさい!」
雪枝は後ろを振り返ることもなく個室のドアを開けると小走りに出て行った。
ディックはぬるくなったコーヒーを飲み干すと呟いた。
「第一ラウンド、判定でYukiの勝ちか…ははは」


12、うごめく影


XOOPS Cube PROJECT