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10、「ジェームス商会」

第二章

11、「誕生会」

24)
11、「誕生会」1947年3月28日(金)

 夜7時10分前。雪枝は新橋の駅前を歩いていた。先週末から桜も咲き始め季節は一気に春めいて来た。もうコートはいらない。ヘンリーが誕生日に贈ってくれたカメオのブローチが濃紺のベルベットのジャケットに良く映えていた。
今宵、雪枝が新橋まで来たのは、先週、おねまの店「鹿鳴館」に寄った時
「来週の金曜日来てね」と誘われたからだ。
「面白いメンバーが揃っているから」と、おねまはにこやかな表情で雪枝に告げた。
「何がどう面白いのか」それは雪枝にもわからなかったが、
おねまが「面白い」というのだから信じてみようと思った。
 鹿鳴館の扉を開けると、おねまが大きな声で迎えてくれた。
「ユキちゃん、お誕生日おめでとう!」
「え?誕生日?サプライズ?」
雪枝の本当の誕生日は3月24日なのだが、おねまが憶えていてくれたのだ。
「さあ、ユキちゃんは奥に入って」
店の奥の方に十人分ほどの席が用意されていた。
「まだ皆さん揃ってないけど始めましょうか?」
するとカウンターで飲んでいた男二人が振り向いた。両方とも雪枝の知らない顔だった。
「こちら紹介するわね。田村さんと磯崎さん。お二人とも元外務省のお役人よ。今は会社をやってらっしゃるの」
田村はやや細面で黒縁のメガネをかけたインテリ風。磯崎の方は髪はやや薄いが日焼けした肌に白い歯が印象的な…いかにも女性にもてそうなタイプだった。二人とも年の頃は40台半ばくらいだろうか。しかし、二人に共通しているのは一般の日本人男性と比べるとかなり垢抜けた雰囲気を漂わせているところだった。
雪枝は自己紹介すると二人の男性と一緒に奥の席に移動した。
雪枝はスコッチアンドソーダを注文し、田村と磯崎と乾杯した。
「それでは雪枝さん、お誕生日おめでとうございます。Alles Gute!」
田村が音頭を取った。
「あら?田村さん、ドイツ語…ですよね?」
雪枝が思わず尋ねると田村は頷いた。
「はい、外務省時代はベルリンの日本大使館におりました」
「え?つまり戦争中ずっとドイツにいらっしゃった?」
「そうです。ドイツの旗色が悪くなって来たので家族でスイスに逃げる途中で米軍につかまり、しばらく収容所にいたんです。まあ、しかし米軍で良かった。ソ連軍に捕まった者は強制労働に駆り出され、ひどい目にあったらしいですからね。それと比べればこの磯崎なんかラッキーですよ」
田村は磯崎の肩を突っついた。
「僕はこの田村と大学の同期で、一緒に外務省に入ったんですが、戦時中はスイスのベルン駐在だったもので…ご存じのようにスイスは中立国ですから戦争には巻き込まれませんでした。その代り戦時中も敵味方双方の外交官が激しい情報戦を繰り広げていたわけです。私も日本の旗色が悪くなり始めた頃から主にアメリカとの交渉に駆り出され、まあ、交渉と言ってもどのように矛先を収めるかという事ですがね、とにかく日本の軍部の強硬派には泣かされましたよ。何が何でも『本土決戦』の一点張りですからね」
磯崎は当時を振り返るように時折目を閉じ語った。
「じゃあ、お二人は同じ大学を出た後、別々の運命を辿ったというわけね。で、今は外務省をお辞めになってご一緒に…」
すると田村が雪枝の質問を遮るように口を挟んだ。
「いや、辞めたんじゃなくて公職追放ですよ。つまりGHQによれば我々は軍国主義者の手先だったと言うわけだ」
「あらあら、それは大変ですわね。でも、ドイツは同盟国でしたからベルリンにいらっしゃった時は歓迎されたんじゃありません?」
雪枝は田村の愚痴の受け皿になるのは敵わないので何とか話題を変えようとした。
「まあ、表向きはね。しかしナチスの連中は基本的には人種差別主義者ですよ。娘は学校で『ヤップ!』と罵られ、反論したら箒で殴られたんですからね。もちろん大使から抗議してもらいましたが、謝罪も形だけのものでしたね。日本もあんな連中と組んだのが運の尽きでした」
「あらあら、お嬢様、お気の毒でしたわね…」
雪枝は自分もアメリカで「ジャップ」と罵られた経験があるので心から同情した。
「まあ、今さら何を言っても仕方がありません。我々は新しい国を作らなければなりません。で、今考えているのは貿易です。幸い私のベルリン時代のコネが役に立ちましてね、ドイツの物産を輸入しようと考えているんです。主に食品や食器ですがね。で、東京にもドイツの料理を出すレストランをオープンさせようと計画中です。これはマイヤーというドイツ人の友人と相談しています。今は軽井沢にいますが近々東京に出て来る予定です」
田村の表情が次第に和らぎ目を輝かせて語った。すると磯崎が頷きながら語り出した。
「僕の場合ははっきり言ってクビです。今の日本に『外交』などと言うものはない。海外から大勢の引揚者を抱えて外務省も職員のクビを切らざるを得なくなったというわけです。で、この田村と組んで会社を立ち上げたわけです」
磯崎も自分たちの事業に賭けているのだろう。言葉には力強さが感じられた。
「素敵!皆さんの事業の成功をお祈りしますわ。乾杯!」
今度は雪枝が乾杯の音頭を取った。
その時、ドアが開き男が一人入って来た。色あせた緑色のコーデュロイのジャケットを着た中年の男だった。髭を生やし長い髪をオールバックにしている。
「こちら新田さん。雑誌の編集をやっていらっしゃるの。新田さん、お飲み物は?」
その新田と呼ばれた男は人差し指を立てると「いつものやつ」と叫んでトイレに駆け込んで行った。
「はいはい、ウォッカのストレートね」
おねまはちょっと笑いながらカウンターの中の女の子に言った。
「カズちゃん、ウォッカ、ショットグラスでね。チェイサーもよろしく」
トイレから戻った新田が席に着くとそれぞれが自己紹介した。
「で、新田さんはどんな雑誌をやってらっしゃるの?」
「え?まあ、いわゆるカストリ雑誌ですよ。お読みになったことはありますか?」
雪枝は「カストリ雑誌」という言葉は知っていたが中身は知らなかった。
「まあ、女性が読むものじゃあないでしょうね。エロ小説や写真も載ってますし…」
新田はウォッカのストレートをグッと煽ると「もう一杯!」と言ってグラスを掲げた。
雪枝はお嬢様扱いされるのはイヤだったので新田に言った。
「私、エロ本には慣れてますのよ。アメリカで散々見ましたから」
新田は一瞬面食らい目を丸くしたが、すぐに笑い出した。
「いや…ね、華族のお姫様だと思ってたら…愉快愉快!エロ本もご覧になる…と!」
田村と磯崎も一緒になって笑いながらこう言った。
「いや、実は我々も少々緊張していたんですよ。華族のお嬢様なんて、世が世なら口もきけないような身分の方だと思って」
「やめてくださいよ。私はその辺の男性よりもよっぽど色々なことを存じてますわよ」
雪枝が実際にエロ本を見たのはロスのハイスクール時代、クラスメイトのジェーンが父親の書斎から持ち出してきた写真集を回し読みした時だった。それはとても生々しい写真ばかりで、いやらしいと言うよりもグロテスクな印象の方が強かった。
その内に、一人、また一人と人が加わり全部で十人ほどが集まった。
おねまがシャンペンを勢いよく開け、全員で乾杯し雪枝のために「ハッピー・バースデイ」を歌ってくれた。
ここに集まった人それぞれがみんな必死で生きようとしていた。世間を見回せば、まだ戦争の傷跡から立ち直っていない人たちも少なくはなかったが、新しい芽は確実に育ちつつあった。
「人間って逞しい」
雪枝は改めてそれを感じていた。


12、「箱根」


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