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11、「誕生会」

第二章

25)
 12、「箱根」1947年4月12日(土)

雪枝は昨晩から箱根に来ていた。久しぶりの二人きりの旅行。ヘンリーは朝からはしゃいで風呂に行ってしまった。やはりアメリカ人にとっては温泉の大浴場は興奮するのだろう。
この旅館は娘時代に両親と三人で何度か来たことがあったので顔なじみだった。女将も「ユキ様、ユキ様」と親しげに声をかけてくれるし、何と言っても静かなのが一番嬉しかった。この近くには有名なホテルもあるのだがここ「仙風荘」は「知る人ぞ知る」小さな宿で、しかも紹介がなければ泊まれないような敷居の高さが雪枝にとっては安心な点だった。
箱根の桜は今が見頃で、午後からは雪枝の運転で強羅から大湧谷、芦ノ湖へと回ろうかと思っていた。
「ああ、最高だった!」
ヘンリーが浴衣を羽織った姿で部屋に入って来た。朝風呂に入っていたのだ。白い肌がピンクに染まっている。
「誰もいない!貸切状態だったよ」
「あなたがいるから誰も入って来れなかったんじゃないの?」
雪枝が笑いながら言った。
「なぜ?僕が外人だから?」
「多分ね。やっぱり日本人は外国人、特に白人には遠慮するのよ」
「その割には戦争中は随分抵抗したじゃないか」
「うーん…それは…日本人は集団になると別なのよ。特に天皇陛下の命令となるとね」
「そうか。それが我々にはよく理解できないところだな。我々も上官の命令には従うが、命まで捨てる気にはならないからな」
すると廊下から声がかかった。
「お食事をお持ちしてもよろしいでしょうか?」
五十代の仲居が二人分の朝食を運んで来た。お茶、梅干し、味噌汁、卵焼き、塩鮭、海苔…典型的な和風の朝食だ。
ヘンリーは大喜びだった。
「こういうのが食べたかったんだ。写真でしか見たことがないから…」
しかし、今のように食料がない時代にこれだけのものを揃えるのは大変だったに違いない。雪枝はこの朝食の価値がよくわかっていた。
「女将さんにありがとうって言っといてね。これは少ないけどとっといて…みつさん…でしたっけ?」
雪枝は懐紙に包んだ心付けをその仲居に渡した。
「ありがとうございます。みちです。」
(あら!名前間違えちゃった。東北訛りで『みつ』に聞こえたのね)
雪枝は担当者にチップを渡す欧米の風習は合理的だと思っていた。何といっても渡したその後のサービスの質が違ってくる。お互いに気持ち良く過ごすための生活の知恵だと思えば安いものではないだろうか。

ドライブは快適だった。所々で桜吹雪の中を走り抜けるたびに二人は子供の様に歓声を上げた。
そして、芦ノ湖の湖畔から見える富士山は…まさに絶景だった。
「あの天辺の雪のかかり方が最高に美しいね。まるで絵に描いたようだ。そういえばSnowは日本語でYUKI(雪)だろう?きみの名前もSnowと関係があるの?」
最近ヘンリーは少しずつ日本語を勉強し始めていた。
「そうよ、ヘンリー。私の生まれた日は3月にしては珍しく雪が降った日で、病院の窓から見える桜の木の枝に雪が積もっているのを見て父が名付けたのよ。父は俳句をやっていて、そういうことが好きな人なの」
雪枝は自分の名前の由来を話すたびに、父のそのような感性に誇りを感じていた。
「そうか。そういうストーリーがあったのか。で、そのHaikuと言うのは詩の一種なんだね?」
「そうよ。文字数にルールがあるのと後は必ず季節を盛り込むのが特徴ね。今度、ゆっくり説明するわ」
「そうか。じゃあ、今日はこの素晴らしい景色を記念に残そう」
ヘンリーは富士山をバックに雪枝の写真を何枚も撮った。
「ヘンリー、今度は私が撮ってあげるわ。ご家族に送ってあげたら?」
「ああ、頼むよ。ポーズはこんな風かな?」
ヘンリーは富士山に向かって叫んでいるようなポーズをとった。
「なーに?それ。富士山にプロポーズでもしてるの?」
「あはは…まさか。彼女は大き過ぎるよ」
すっかり自然を満喫した二人は帰りがけにホテルでお茶を飲むことにした。
そこは戦前からある有名なホテルで政財界の人間もよく出入りしていることでも知られていた。
一階のロビーを通ってティールームに行く途中のことだった。
ひと組のカップルがエレベーターから降りて来るのが見えた。
「あら…おねま?」
雪枝は呟いた。
サングラスをかけてスカーフを被ったその女性は白髪交じりのがっちりとした体格の男性と腕を組んでロビーの方へ向かって行った。
「え?YUKI、知り合いかい?」
「え…ええ。ちょっと似ていたもので…」
雪枝は口ごもった。
多分、おねまにも何か事情があるのだろう。サングラスとスカーフで顔を隠すようにしていた。声をかけない方が良かったに違いない。
「僕はあの男性の方を知っているよ」
ヘンリーの思いがけない言葉に雪枝は思わず彼の顔を見上げた。
「え?誰なの?」
「向こうは覚えていないかも知れないが芦田と言う男だ。元満州国の官僚で今は公職追放でどこかに身を潜めていると思っていたが、こんな所にいたのか」
「え?何か罪を犯したの?そのミスター芦田は」
雪枝はおねまと一緒にいる男が犯罪者かも知れないと思うと心がざわめくのを感じていた。
「いや、彼は軍人ではなく経済官僚だから戦争犯罪に直接関わってはいないが、A級戦犯被疑者の岸の部下だったのでブラックとは言えないものの、かなりグレーな人物だ」
雪枝は岸の名は記憶にあった。満鉄に勤務していた父から何度か名前を聞いたことがある。父に聞けばもっと詳しい話が聞けるかも知れない。
「ヘンリー、もうその話はいいわ。それよりお茶にしましょう」
「そうだね。今日は仕事のことは忘れたいからね」
二人は腕を組んでティールームに入って行った。

翌日、日曜日の夜、箱根から戻った雪枝はすぐに父に電話をした。箱根でおねまと一緒にいた「芦田」という男について父が何か知っているかもしれないと思ったからだ。
「え?芦田?満州の…ああ、忘れもしないよ。生きていたのか…」
父はイヤなニュースを耳にした時の癖で少し声が震えていた。
「しかしね、雪枝。これは電話なんかで話せることじゃないんだよ。明日でもどこかで会わないか?一緒にお昼でもどうだい?」
結局、翌日12時半に帝国ホテルで父と待ち合わせることになった。例によって母には内緒だった。
「一体、満州で何があったのかしら。何だかとんでもない話が聞けるかも知れない」
雪枝は心の中でワクワクしている自分がいるのを感じていた。
25)


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