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14、「ライ麦パン」

第二章

15、「ホットドッグ」

28)
 15、「ホットドッグ」1947年6月24日(火)

 ニューヨーク、ニューズウィーク誌本社。ハリー・カーンは窓際に立ち、眼下のブロードウェイの人並を眺めていた。そして、腕時計を覗いて呟いた。
「あと10分か…」
ハリーは自分の執務室を出ると受付に座っているリリー・オコーナーに声をかけた。
「奥の会議室にいるから来客があったら通してくれ。午前10時に一人と10時半にもう一人来るはずだ」
「はい、わかりました。午前10時はグルー氏ですね。で、10時半は?ええと…」
リリー・オコーナーは何かを考える時の癖なのだろう。赤茶色の髪の毛の先をクルクルと指でさわった。
「ブルーム氏だ。ポール・ブルーム。50歳位の紳士だ。失礼のないように頼むよ」
「はい、わかりました」
リリーは満面の笑顔を浮かべて返事をした。
ハリーは会議室に入ると窓のカーテンを全て閉めて部屋の電気を付けた。万が一、隣のビルから見えるとまずい。これからやって来るジョセフ・グルーは戦前・戦中は駐日大使、戦後は国務次官を務めた人物だ。すでに退任したとは言えVIPだった。本来ならハリーの方から出向くべきなのだが、ここまで来てもらったのはどうしても早急に引き合わせたい人物がいたからだ。それはポール・ブルームだった。

ポール・ブルームは実に数奇な運命を生きて来た人物だった。彼は1898年3月31日、横浜市の山手居留地で生まれた。父はユダヤ系フランス人の貿易商、母もユダヤ系のアメリカ人で、彼は少年時代を日本で過ごした。横浜のセントジョセフスクールを卒業後、1912年フランスに帰国。ジュネーブのハイスクールを経てアメリカのイェール大学を卒業した。その後アメリカ国籍を取得したブルームは第一次世界大戦に米軍の野戦衛生兵として従軍。戦後はパリに居を構えジャン・コクトーやアーネスト・ヘミングウェイとも親交があった。第二次大戦が始まりドイツ軍がフランスに侵攻すると、彼はアメリカに渡りコロンビア大学で日本語を学んだ。その後、太平洋戦争が始まるとOSS(戦略情報部:CIAの前身)に入局。タイ、ポルトガルでの勤務を経て1944年10月、スイス:ベルンのOSSベルン支局に赴任し、この春までアレン・ダレス(後のCIA長官)の部下として情報活動に従事していたのだ。そして現在は一時帰国していたが、次の任地は日本に決まっていた。おそらく彼のずば抜けた情報収集力と日本語の能力を買われてのことだろう。

午前10時5分過ぎ、ジョセフ・グルーが到着した。
「いやあ、遅れて済まない。出がけに急に電話が入ってね。ハリー、元気そうじゃないか」
グルーは親しげに右手を差出して来た。相変わらず気さくな雰囲気を醸し出していたが、その言葉や立ち居振る舞いの隅々に育ちの良さがにじみ出ていた。
「すみません。グルー閣下、本来ならこちらから伺わなければならないのですが…」
ハリーはボストンのグルーの邸宅をこれまでに何度か訪問したことがあったが、毎日目が回りそうに忙しい現在のハリーにとっては、わざわざボストンまで出向く時間はなかった。
「いや、いいんだ、ハリー。私もたまにはこのブロードウェイの空気を吸わないと老け込んでしまうからね」
グルーはもう68歳になっていたが声にも張りがあり、とても70近い老人とは思えない若々しさを感じさせた。
「それよりハリー、今度のニューズウィークの特集記事は素晴らしいね。『日本の危機的状況』これをもっと大統領にも働きかけないとね。しかし、『ホイットニーにはキツネが憑いている』には笑ったね」
グルーは上機嫌だった。
「ありがとうございます、閣下。先日の日本訪問は実に有意義でした。やはり現場に足を運ぶことは重要ですね。『現場主義』こそジャーナリズムの基本だと改めて思いましたよ」
ニューズウィーク最新号にはハリーの日本訪問リポートが5ページにわたって掲載されていた。
「ところでハリー、君の手紙によると、何か今後の日米関係に関して素晴らしいアイディアがあるそうじゃないか。何か私に出来ることがあるかな?」
グルーは期待に目を輝かせていた。
「実はこの後、閣下にご紹介したい人物がここにやって来ます。ですからその前にざっとお話ししておきましょう」
ハリー・カーンの話の内容は以下のようなものだった。

まず、何としても防がなければならないのは日本に左翼政権ができること。だから社会党や共産党をブロックするための強力な保守政権が必要である。しかも、その政権与党は親米でなければならない。そこで戦前から駐日大使として日本の政界・財界に多くの人脈を持つジョセフ・グルー氏を中心とした団体を作りアメリカ国内でのロビー活動を行い、アメリカの政府や政界に圧力をかける。そして日本の親米政権を強力にバックアップし続ける。もちろんニューズウィークを始めアメリカのマスコミ、そして日本のマスコミも使い「反共キャンペーン」を推し進める。

それを聞くとグルーはこめかみを人差し指でとんとんと叩き考える素振りを見せたが、すぐにハリーに質問した。
「ハリー、確かに君のアイディアは素晴らしいし趣旨も良くわかった。しかし、資金の調達はどうするつもりだね?日本の政治家たちだってただじゃ動くまいよ。選挙にも金がかかるし、マスコミを動かすのも結局は金だ」
「はい、ご指摘はごもっともです。そこで、閣下の人脈、特に日本の財界の応援を得られれば…と考えた次第です。確かに今のGHQは財閥解体を進めてはいますが、それほど簡単にはいかないでしょう。いや、むしろ、我々がキャンペーンを張ることで財閥解体や公職追放の流れを変えることもできると考えています」
ハリーはお互いの得意な分野で力を合わせれば、流れを変えられると信じていた。それには是非とも、このグルー元駐日大使の力が必要だった。彼は日本の政財界のみならず皇室や旧華族にも広い人脈を持っていたからだ。いや、広い人脈だけではない。彼は日本の支配層から厚い信頼を得ていたのだ。

「コンコン!」
ドアがノックされリリー・オコーナーの声がした。
「ブルームさんをご案内いたしました」
「ああ、どうぞ!」
ブルームは中肉中背。ハンサムというわけではなかったが柔らかい表情とクルクルとカールした褐色の髪が人懐こい雰囲気を醸し出していた。
「ああ、君がアレン・ダレスの懐刀と言われる諜報部員か!グルーだ。よろしく」
グルーが握手を求めるとブルームは嬉しそうな表情を浮かべた。
「ブルームです。閣下にお会いできて光栄です。私はこの春までスイスのベルンにおりました」
「さあ、ブルームさん、こちらにおかけください」
ハリーが席を勧めた。
「グルー閣下、実はこちらのブルームさんは日本に赴任される予定なんですよ。我々にとっても素晴らしいニュースだと思い、今日はこうしてお招きしたのです」
ハリーがひと通り述べるとグルーは満面の笑みで応えた。
「それは素晴らしい!で、ブルーム君、いつ頃東京に行くのかね?」
グルーが尋ねると、ブルームは答えた。
「具体的な日程はまだはっきりとは決まっておりません」
「なるほど。ところで、ブルーム君、君が現在所属している組織OSS(戦略情報部)は近々CIA(中央情報局)に生まれ変わるわけだが君はCIAの一員として赴任するのかね?」
「いいえ、閣下。私の肩書はGHQ外交部所属です」
「ほぉ、なるほど。外交部ね。まあ大使館みたいなものだね」
確かにグルーの言うとおりGHQ外交部は大使館の役割を担っていた。なぜなら当時の日本は独立国ではなく、いかなる国とも正式な外交関係は持てないのだから大使館に代わる窓口が必要だったのだ。
三人の男たちはその後も会議室で1時間余り話し合った。グルーが最も力説したのは日本の国の価値についてだった。
彼はこう語った。
「日本は戦争には負けたものの、その経済的潜在能力は失われていないという認識を君たちと共有したい。そしてアメリカの政財界に最もアピールするべきことは『日本に投資しても損することはない』と言うことだ」
この意見についてはハリーもブルームも完全に同意した。
ブルームはこう言った。
「戦前の日本が軍国主義一色のファシズム国家だったというのは間違いですよ。少なくともあの二件のクーデター事件(五・一五事件、二・二六事件)の前までは近代的な資本主義国家として順調に発展していたわけですから。私はその頃の日本を良く知っています」
そして、最後にその日集まった三人の他にウィリアム・リチャーズ・キャッスル元国務次官補、ジェームズ・リー・カウフマン元東京帝国大学教授、グルーの忠実な部下であったユジーン・ドゥーマン元参事官、さらにニューズウィーク東京支局長のコンプトン・パケナムなどが中心となって組織を固めて行くことで合意した。
そして三人は高揚した気分のままどこかでランチを共にすることになり外に出た。グルーとブルームが颯爽と歩く後ろを数歩遅れながらハリーが続いた。
「お二人とも待ってくださいよ。私は偏平足でそんなに早く歩けないんですから」
ハリーが泣き言を言ったので、グルーは笑いながら振り向いて言った。
「ああ、そうだったな。ハリー、すまない。もう少しゆっくり歩くことにしよう。まだ先は長いのだから焦らずゆっくりと」
42番街をゆっくりと歩く三人を大都会の人々は足早に追い抜いて行った。
グルーは二年前のあの夏の日を思い出していた。「勝利!日本、降伏!」の号外が配られ喜びに満ちた群衆でこのブロードウェイの辺りは大騒ぎになったのだ。誰もが長かった戦争の勝利を祝い、平和の到来を喜んだあの日。それからまだ二年も経っていないのに、世界は新たな不安の雲に覆われ始めていた。
「諸君、たまにはホットドッグでもどうかね?」
グルーは数メートル先の屋台を指さして言った。
ブルームも笑顔で応じた。
「おお、閣下もお好きですか?」
「ああ、マスタードをたっぷりとね」
「あははは、いいですね!」
結局三人は屋台でホットドッグを頬張ることになった。
「やっぱりニューヨークはいい街だね。活気がある。またちょくちょく来るよ」
グルーが言うとハリーは頷きながら言った。
「グルー閣下、あなたの力を得ることができて本当に感謝です!」


16、「黒いバッグ」


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