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15、「ホットドッグ」

第二章

16、「黒いバッグ」

29)
 16、「黒いバッグ」1947年6月29日(日)
その朝、雪枝が目を覚ましたのは9時半頃だった。忙しかった一週間が過ぎ
のんびりとした日曜の朝。昨夜からの雨も上がり薄日が差し始めていた。
雪枝はヘンリーからもらったハワイ産のコナ・コーヒーを飲みながら今日一日のことを考えた。柔らかい香りが頭の中の霧を追い払って行く。
「お昼前に美容院に行って…それから、買い物をして…ヘンリーと会うのが5時だから、それまで何をしようかしら」
雪枝は窓を開けた。雀がチュンチュンと屋根の上で囀っている。
すると突然電話のベルが静かな空気を破った。だれだろう?
「はい…」
「ああ!ユキちゃん、わたしよ」
「あら、おねま?どうしたの?」
「ユキちゃん、ごめん。今、詳しく説明してる暇ないの。お願い!私の頼みを聞いて」
「何なの、いったい」
おねまの声は何やら切羽詰ったトーンで雪枝はイヤな予感がしていた。
「あのね…ちょっとまずいことになって、でね、お昼の12時ちょうどに私のお店まで行って欲しいの。私の代わりに…ね、お願い!」
「え?どういうこと?」
何か事件だろうか?もしかすると先日、箱根で一緒だったあの男…そう、芦田と関係があることなんだろうか。
「12時にウチのバーテンの高橋…ユキちゃん、高橋の顔は知っているわよね?彼が店の鍵を持って行くから、店に入って、私の黒いバッグを持って帰って欲しいのよ」
高橋なら知っている。浅黒い肌のちょっと東南アジア系の様な小柄な男だ。
雪枝はおねまに尋ねたいことが次々と湧き上がって来たが、とにかく今は言われたとおりにしようと思った。
しかし、一人で行くのはちょっと怖い気もする。そう、誰かに護衛を頼もう。まずはヘンリーに電話してみよう。
「じゃあ、ユキちゃん、また今日の夜電話するから。何時だったらいい?」
「おねま、私、今日は帰るのが遅くなると思うの。だからこちらからかけるわ」
今夜はヘンリーとデートの予定なのだ。
「ユキちゃん、私、今、家に帰れないのよ。この電話も外からかけてるし…」
「わかったわ。じゃあ11時に電話して。その時間なら必ずいると思うから」
「ありがとう。ユキちゃん、本当に助かるわ」
電話を切った後も雪枝は釈然としない気持ちだった。一体何が起こったのだろう。おねまの黒いバッグはロッカールームの奥のデスクの下に置いてあるとのことだったが、いったい何が入っているのやら…変な事に巻き込まれなければ良いのだが…。
雪枝はヘンリーに電話したが宿舎の電話には出なかった。仕方がないので職場に電話すると、会議中だと断られてしまった。
「そうだ!ディックに頼もう!」
運よくディックは在宅だった。
「何?ユキのボディガード?お安い御用だ!」
ディックは快諾してくれ、11時に家まで迎えに来てくれることになった。

「プップー!」
11時丁度、外でクラクションが鳴った。
「あら!新車に替えたの?」
雪枝の家の前にピカピカのクリーム色のフォードが停まっていた。以前見た時は確かブルーの車だった。
ディックはキャメルのジャケットを着て運転席で待っていた。しばらく見ない間に髭を伸ばしている。
「あら、髭、良く似合うわよ」
雪枝が褒めるとディックは手で頬を撫でながら嬉しそうに言った。
「自分でも気に入ってるんだ。何だか別人になったみたいで」
クリーム色のフォードは路地を抜けるとFアベニュー(現在の青山通り)に出て青山一丁目から赤坂見附方面に向けて走った。
日曜日なので道はすいている。ラジオからはナット・キング・コール、フランク・シナトラ、ペリー・コモなどの最新ヒット曲が次々と流れていた。
ディックは音楽に詳しく色々と雪枝に解説してくれた。
「ナット・キング・コールは最初はピアニストとしてデビューしたんだ。で、ある時勧められて歌ってみたら、いい声だったんでレコードを出したら大ヒットしたんだよ。Straighten up and Fly rightっていう曲なんだけど知ってる?」
「え?いつ頃の曲なの?」
「えーっと、1944年、3年前だね」
「ディック、私、8年前に日本に帰って来てからアメリカの音楽なんか全然聞けなかったのよ。歌と言えば軍歌・軍歌でもう頭がおかしくなりそうだったわ。だから戦争が終わって一番うれしかったのはジャズが聞こえて来た時よ。本当に解放されたっていう気がした」
「そうか。それはつらかっただろうね。でももうそんな思いはさせないよ。日本は自由の国になったんだから」
「そうね、日本の人たちもみんな本当はアメリカの映画や音楽が好きだったはずだもの」
そんな話をしている内に車は10ストリートを抜け、虎の門から新橋の駅に近づいていた。時刻は12時10分前だった。
「ディック、お店は駅の裏の路地だからどこかに車を止めて歩いて行きましょう。」
「だったらあの交番の前に止めよう。一番安全だ」
ディックが恐れているのは車に傷を付けられたりタイヤをパンクさせられることだった。アメリカ人の車を見るとその様な嫌がらせをする者が時々いたのだ。
ディックが交番の前に車を止めると、日本人の巡査が「ノーノ―」と言いながら近づいて来た。
ディックは日本語で言った。
「ワタシ、アメリカ軍ノ将校デス。ワタシノクルマ見テイテクダサイ。オネガイシマス」
すると巡査は驚いた顔で「はっ!」と背筋を伸ばして敬礼した。
「ええ?ディック、日本語うまくなったじゃない!すごいすごい!」
「イーエ、マダマダデ―ス」
「あははは」
二人は駅を過ぎ線路沿いの道から路地に入って行った。
おねまの店の前にはまだ誰もいなかった。
「何だか昼間見ると随分雰囲気が違うわ」
紫の看板が妖艶な雰囲気を醸し出していた夜の景色とは打って変わって、昼間は周囲の建物のみすぼらしさや道路の汚さが目立ち、何だか美女の素顔を見てしまったような残念な気持ちになった。
「すいません!遅くなって」
バーテンの高橋が小走りに現れた。リーゼントの髪がテカテカと光っている。
「それじゃ、これ鍵ですから」
高橋は自分のジャンパーのポケットからキーホルダーを出した。
「僕はこの紙を貼ったら帰りますんで、鍵は雪枝さんが持っていてください」
高橋は持って来た紙を画鋲でドアに張り付けた。そこにはこう書かれてあった。
「都合によりしばらくお休みいたします。鹿鳴館店主」
「え?しばらくお休みって、高橋さん、どういうことなの?」
「いや、僕もママから電話で言われただけなんで、鍵を渡して張り紙をしておけってそれだけで…詳しいことはちょっと」
「わかったわ。高橋さん、ご苦労様。後は大丈夫だから」
「はい、ではよろしくお願いします」
高橋は小走りに去って行った。
雪枝は鍵を差し込みドアを開けた。店内はタバコとアルコールの混ざったようなムッとする匂いが籠っていた。雪枝はカウンターの裏に回って電気をつけるとカーテンで仕切られたロッカールームに入った。ディックは入り口に立って見張っている。
ロッカールームの奥には事務室…と言ってもデスクが一つと書類の束とレコードが10枚ほど並んだ本棚、そして床には酒瓶の入った木箱が3段ほど重ねられているだけの狭いスペースだった。
「デスクの下って言ってたわよね」
椅子を引くとデスクの下に黒い革のバッグがあった。想像していたよりも小さなボストンバッグだった。
「いったい何が入っているのかしら…」
おねまは雪枝に「バッグを持って帰って欲しい」とは言ったが「中を見るな」とは言っていない。いや、それ以前に雪枝には中身を確認する権利があると思った。例えば何か法に触れる様なものが入っていたら…それはもう雪枝がおねまの義理を果たす必要はないのだ。
「麻薬とか銃とかだったら、私はもう関係ない」
バッグを空けるとそこには丸めたスカーフが見えた。
「何これ?」
雪枝はスカーフを引っ張り出した。白地に青いペイズリーの絹のスカーフはけっして安物ではなかったが、重要なものとはとても思えなかった。
その他に出て来たのは封を切っていないラッキー・ストライクが3箱と、女物のサングラス、ピンク色のハンカチなどで、どれもわざわざ取りに来るほど大事なものとは思えなかった。
いつも間にかディックが部屋に入って来ていた。
「どう?何か金目のものはあったかい?」
「見てよ。どうでもいいものばかり。おねま、何か勘違いしているんじゃないかしら」
「どれ、見せてごらん」
ディックはバッグを受け取ると、中を見て言った。
「あれ?この中敷の下、ファスナーがあったぞ」
「え?ファスナー?」
ディックはファスナーを開け中から手帳を取り出した。
その手帳はモスグリーン…いや、モスグリーンだったのだろうが、あちらこちら擦り切れて角がめくれあがっていた。
「何が書いてあるの?」
ディックが開くとそこには数字と漢字、アルファベットなどが並んでいた。
「これは何かの暗号だろうか?」
17/2/17 □西、、T 、K
「最初の数字は日付ね。昭和17年2月17日だと思うわ。後はちょっとわからない」
雪枝は首をかしげた。
「ユキ、この手帳、今日だけ僕に預けてくれないか?謎を解いてみせる」
雪枝は少し考えたが、今日はこれからヘンリーとデートで自分には時間がない。ディックに預けて謎を解いてもらうのも悪い考えではないと思ったので、預けることにした。
「それじゃ、明日、手帳を返すからユキはバッグだけ持って帰るといい」
ディックは自分のジャケットの内ポケットに手帳を仕舞い込んだ。
二人が店を出て鍵をかけていると、ハンティングを被った男が二人、店の反対側の路地に立っているのが見えた。帽子を目深に被り顔は良く見えない。
「あいつら、怪しいな。早く車に戻ろう。バッグは僕が持つ」
ディックは雪枝からバッグを受け取ると足早に路地を抜け表通りの交番まで戻った。巡査は律儀にディックの車のそばに直立不動で立っていた。
「ゴクロウサマ!アリガトゴザイマス!」
ディックが話しかけると巡査は満面の笑みを浮かべて「ハッ!」と敬礼した。
交番から10メートルほど離れたビルの陰からさっきの男たちが見ていた。
「ちっ!アメリカさんの関係者か。お手上げだな」
「仕方がない。あの女の家はわかっているから、そこに張り付こう」
二人はくわえていた煙草を地面に投げ捨てると靴で踏みつけ去って行った。

「でね、今頃ディックは手帳を見ながら謎を解いているはずよ」
雪枝はマティーニを飲みながらヘンリーに昼間の出来事を一部始終話していた。
二人はヘンリーの宿舎近く、赤坂見附のバーで飲んでいた。
「実は、さっきディックから電話があって手帳の件は聞いたんだ」
「あらそうだったの?で、何かわかったって?」
「いや、詳しいことは後でリポートにまとめると言っていたよ。でも、かなり重要な情報らしい。どうやら芦田は金の流れを記録していたらしいんだ」
やはり芦田が絡んでいた。雪枝の直観は正しかったのだ。
「で、芦田はどうなったの?おねまは大丈夫かしら?」
「ユキ、これはまだ未確認情報なので誰にも言わないで欲しいのだが、芦田は何者かに拉致されたようなんだ。今、日本の警察とMPが共同で捜査している」
「じゃあ、おねまは?どこにいるの?」
「それはまだわからない。だから、彼女から連絡があったら居所を聞いて欲しいんだ。場合によっては我々が保護してもいい」
「わかったわ。私はとにかくおねまが心配なの」
「大丈夫。ユキ、彼女は我々が守る。必要なら君にも護衛をつけるよ」
「ええ?私は大丈夫よ。こう見えても強いのよ」
「あははは。確かに気が強いのは知ってるよ」
雪枝はヘンリーを睨みながらマティーニのオリーブをガリガリとかじった。


17、「奔流」


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