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[[]]18、「久子姐さん」

第二章

19、「731部隊」

32)

19、「731部隊」1947年7月20日(日)

 午後三時過ぎ、雪枝とヘンリーは赤坂見附に程近い中華料理店「Shanghai:上海」で遅い昼食をとっていた。昨日は会った時間が遅かったので二人とも寝坊してのんびりと過ごしている。ヘンリーは最近、出張や休日出勤が続き、二人がゆっくり会えたのは久しぶりだった。
「私、ここの焼きそば大好き!」
雪枝のお気に入りはこの店の「海鮮焼きそばだった。イカや帆立、海老などがたっぷり入っている。これに酢をかけて食べるのだ。雪枝は幼少期を上海で過ごしたこともあり中華料理は大好物だった。上海の家には中国人の住込みの料理人がいて、雪枝の好きなものを色々と作ってくれた。名前は確か…アスウ。雪枝たちの一家が上海を発つとき寂しそうに手を振っていた姿が思い浮かぶ。あれからもう20年以上…今はどうしているだろうか…。
ヘンリーの好物は雲呑と春巻きだった。特に雲呑はイタリー料理のラヴィオリに似ているので大好物だった。
「これ、いつか自分でも作ろうと思っているんだ」と言うが、まだ実現していない。
ヘンリーは先ほどから現在GHQの中で起こっている問題について雪枝に話していた。雪枝には理解できないことも少なくなかったが、ヘンリーが自分に話すことで少しでも楽になればそれでも良いと思い、なるべく熱心に聞くように心がけていた。
「Yuki、ウィロビー達は戦犯容疑者を匿っていたんだよ。信じられるかい?石井は明らかにA級戦犯クラスの犯罪者だ。それを逮捕もせずに放置していたんだ。これはアメリカ国民だけではない、全ての連合国に対する裏切りだよ」
ヘンリーは興奮して喉が渇いたのかビールをグッとあおった。

ここで、当時のGHQ内部の権力闘争について再確認しておこう。
ヘンリーが所属しているのは、民政局(GS)というセクションで、局長はマッカーサー元帥の片腕と言われるホイットニー准将、そして次長はケーディス大佐が務めていた。GSは日本占領の主たる目的である軍閥・財閥の解体、軍国主義集団の解散、軍国主義思想の根絶を目指し、日本の民主化政策の中心的役割を担っていた。日本国憲法の制定に強い影響を与えたのもこのセクションで、ニューディーラーを中心にかなりリベラルなメンバーで構成されていた。一方、ウィロビー少将率いる参謀第二部(G2)は、主に諜報・保安活動や検閲を担当し、日本語文書の翻訳や技術情報の収集もその重要な任務だった。部長のウィロビーは熱烈な反共主義者であり「赤狩りのウィロビー」とも呼ばれていた。「共産主義の蔓延を阻止するためなら」手段を選ばず、日本の右翼や軍国主義者と手を組むことも躊躇しなかった。A級戦犯に対する釈放要求を出したのもウィロビーである。このためリベラルなGSと対立することが多く、GHQ内部で激しい権力闘争を繰り広げていた。
そのGS対G2の争いに今年になってから新たな火種が生まれたのだ。

話は半年ほど前に遡る。G2のウィロビー少将のもとにソ連検察局次席検察官A・ヴァシリエフ少将の名前で覚書が届いた。その内容は驚くべきものだった。「満州を占領していた旧日本軍(関東軍)が細菌戦の準備を行っていた証拠を掴んでいる」と言うのだ。さらに「その細菌兵器の開発のために関東軍は人体実験を行い、満州人や中国人約2000人が犠牲になった」と。そして細菌兵器の開発を行った「731部隊」の責任者である石井四郎軍医中将を筆頭に菊池斎大佐(第一部長)、大田澄大佐(第四部長)の三名を尋問するためにソ連に引き渡すことを要求していたのだ。しかし、ウィロビーは細菌兵器の情報がソ連に渡るのを怖れ、すでに満州から密かに帰国していた石井を匿い、いち早く尋問を開始していたのだった。そしてさらにウィロビーは先手を打ち、これらの尋問内容を国家の「機密文書」として他のセクションが手の届かないようにしてしまったのだ。

「Yuki、僕は日本に来る直前まで、ドイツのニュルンベルク裁判にも関わっていたんだが、ドイツではヒトラーに協力した医学者や化学者たちは厳しく裁かれている。恐らく死刑になる者もいるだろう。だから、ウィロビーが731部隊の研究資料と引き換えに責任者を免罪するのは完全な越権行為なんだよ」
「でも、もしも本当に戦犯を匿っていたなら、ウィロビーを反逆罪?か何かで訴えればいいじゃない」
雪枝が応じるとヘンリーは苛立ったように拳でテーブルをドン!と叩いて言った。
「Yuki、話はそう簡単ではないんだ。何しろ上の方がハッキリしなくてね」
「え?上の方ってあなたのボスのケーディス大佐?」
「いいや、もっと上」
ヘンリーは指で上を示した。
「え?じゃあマッカーサー元帥?」
「おっとYuki、その名前は言っちゃダメだ」
ヘンリーは唇に指を当てて首を横に振った。
確かに誰が聞いているかわからない。今、この店内にいるのは小太りの中国人のボーイと一組の日本人の中年カップルだけだが、普段は米軍関係者も多いのだから。
「でも『ミスターM』は、戦犯を裁いて日本を民主化することが仕事でしょ?私はそう思っているけど違うの?」
雪枝はマッカーサー元帥を用心深く「ミスターM」と表現した…と、同時にGHQの内部で起こっている問題は想像以上に大きなもののようだと理解し始めた。
「確かに君の言っていることは正しい…だが、それはあくまでも建前だ。Yuki、ミスターMは来年の大統領選を本気で狙っているんだよ。しかし、現職の軍人は法的には大統領になれない。だから『日本占領大成功』の実績を手土産に退役し、華々しく候補者として名乗りを上げたいんだ」
実際、マッカーサーは野党の共和党から立候補し現職のトルーマンに挑もうと考えていた。そしてその選挙は来年1948年11月に迫っていたのだ。
そのような大切な時期に、旧日本軍の細菌兵器開発の問題やその責任者をGHQの一部が匿っていた問題などが表沙汰になれば、アメリカ本国のマスコミが黙っていないだろう。いや、それどころか総司令官を罷免される可能性だってあり得るのだ。これは何が何でもソ連との話し合いを穏便に済ませるしかないだろう。つまり、ヘンリー達GSがこの件について騒ぎ立てるのはマッカーサー元帥にとっては絶対に阻止すべきこととなる。

中国人のボーイが空いた食器を片づけに来たので、雪枝はデザートに杏仁豆腐を注文した。ヘンリーは手を振って欲しくないという素振りを見せた。
「どうして杏仁豆腐が好きじゃないの?」
雪枝が尋ねるとヘンリーはビールのグラスを持って言った。
「あの薬みたいな香りがどうも苦手でね。それに、まだビールが残っているし…」
確かにあのアーモンドの香りは薬臭いと言えなくもない。いや実際あれは漢方薬に用いられるのだ。
「ヘンリー、あれは杏の種の香りなの。中国では昔から咳の薬に使われて来たのよ」
「そうかい。僕は喉の調子は問題ない。ところで、ビールに入っているホップも更年期障害にいいらしいよ」
「あはは…私には20年早いわ」
「でね、さっきの話の続きだけど、満州の関東軍が作っていた細菌兵器というのが『ノミ』だったんだよ」
「え?あのピョンピョン跳ねるノミ?」
「そう、あのノミなんだ。大量生産した発疹チフス菌やペスト菌をノミに感染させバラ撒こうと言う計画だったらしい。ネズミにそのノミを移して放つ作戦計画もあったそうだ」
雪枝はその話にショックを受けると同時に不快感がこみ上げてきた。
「ヘンリー、もうその話は止めて。食事中に病原菌とかノミとかネズミとか…あなたの話を聞くのは嫌じゃないけど」
「ごめんごめん、つい興奮して…さあ、杏仁豆腐を食べて気分を直してくれ」
ヘンリーはちょうど目の前に置かれた杏仁豆腐を雪枝の方に差し出した。
「ヘンリー、確かに不愉快な話だったけど、とんでもないことなのはわかったわ。私、父に聞いてみる。父は終戦までの2年間、満州で仕事をしていたわけだから何か知っているかも知れないわ」
雪枝は自分にできる範囲でヘンリーに協力したいと思っていた。
店を出ると、外はまだ明るかった。&br
「どうする?ぼくの部屋で少し休もうか?」
「そうね。でもあなたの部屋のソファー、ノミはいないでしょうね?」
「あはは。ノミはいないけどネズミはいるかもしれないね。名前はミッキーだ」
ヘンリーがミッキーマウスの声色を真似て喋ったので、二人は大笑いしながら宿舎への道を歩いて行った。
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1、「スキャンダル」


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